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コ*ラ*ム

院が嬉しいと思ったことがありますか?
義母が筋萎縮性側策硬化症と診断され入院していたときのことです。この病気は原因不明で治療方法のない難病です。日に日に身体中の筋力が衰えていき、最後は肺、心臓の筋力がなくなり死に至るという恐ろしい病気でした。最大の特徴は最後まで知覚障害がないことでした。こんな義母のところに行くのが私はとても苦痛だったのです。そんなとき、わたしの身体に異常が出ていたのです。先生から「卵巣腫瘍で、がんでないとは言い切れないので摘出しましょう。」と言われたとき、最初に頭に浮かんだのは「入院できるんだ。嬉しい。」ということでした。それほど現状から逃避したかったのです。それまで義母のところ行ってあげなければという義務感で動いていました。自分が入院するということは、「行ってやりたくても行けないのだから仕方がない。」と思えたからです。自分の手術が無事に終わり、また義母のところに行った3日後のことです。義母の容態が急変し3日間付き添った後に他界しました。義母は私に最後を看取って欲しかったんだなと思いました。
番心が傷ついた出来事
健一が保育園の年長さんの頃のことです。その頃毎日夕方スーパーへ健一を連れて行き買い物カーゴに乗せて買い物をしていました。年長といえばカーゴに乗せる年齢ではありませんが、乗せなければ買い物が出来ませんから仕方ありませんでした。健一の行動は予測がつかないからです。カーゴに乗せていても手が出て物をつかんだり、人を叩いたりしてしまいます。私も細心の注意を払っていたつもりでしたが、たまたま側にいた若いカップルの男性に手を出してしまったのです。男性は驚いた顔をしてじっと健一を睨みました。私は咄嗟に「すみません。ゴメンナサイ」と誤りましたが、男性は一言も発せず睨んでいました。一緒にいた女性が促して離れていきましたが、少し離れた所で男性が女性に「あれはバカだ。」と言ったのです。その言葉が私の耳にも入ってしまったのです。私の胸は悲しさで張り裂けそうでした。確かに健一は障害児です。周りの人もわかっているというのは百も承知です。でも見て見ぬふりをしてくれている、それがありがたいと思っていました。その後そのスーパーには健一を連れて行くことがなくなりました。周りの人に迷惑を掛けたくないという思いより、自分が傷つきたくないと思ったからだと今は思えるのです。


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