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娘*へ*の*思*い

りがとう 亜矢
娘への感謝の気持ちで書いた「ありがとう亜矢」は、1996年に講談社から刊行された「心にしみるいい話」珠玉編第1集に掲載されました。その翌年上毛新聞社刊行の「心にしみるいい話」で同じ原稿が「お姫様になった」というタイトルで掲載されました。



私には、出生後二日目に頭蓋内出血を起こし、それが原因で重度精神薄弱となり、更に「てんかん」を併発してしまった、長男「健一」と、六年の間をおいて産んだ、長女「亜矢」の二人の子供がいます。 健一にばかり手がかかりすぎ、亜矢には小さいときからがまんばかりさせてきました。辛く苦しい生活の中にあって、亜矢の笑顔だけが救いでした。我が家の中にあって光輝く太陽のような存在だったのです。亜矢は物心ついたときから自分の立場というものがわかっていたようです。一番母親に甘えたいときに甘えられず、お兄ちゃんと一緒のときは常にお兄ちゃん優先ということを、可哀そうなくらいわきまえていました。そして、幼な心に「私がしっかりしなくっちゃ。お母さんを助けなくっとゃ」と思うようになっていたような気がします。 小さい頃から亜矢の口から、「お兄ちゃんばかり可愛がって」とか「お兄ちゃんばかり大事にして」という言葉を聞いたことがありません。それどころか、「お兄ちゃんは、お母さんのお腹にいた時から病気だったんだから可哀そう」「お兄ちゃんは病気なんだから仕方ないよね」という言葉が口癖のようになっていました。 亜矢がまだ二歳の頃、亜矢の目の前で健一が発作を起こし吐いてしまったことがありました。そのとき亜矢は、「タイヘン、タイヘン」と言いながら、急いで台所に行き、ふきんを持ってくると、小さい手で一生懸命汚れた所を拭いてくれたのです。 亜矢が四歳のときには、健一が出窓の上に座っていて、急に発作を起こしました。そのまま出窓から外に落ちそうになった健一を、亜矢が咄嗟に押さえて、直接地面に落ちるのを助けたのです。自分の倍以上も体重のある健一を必死で押さえながら、大声で叫び助けを求めました。亜矢の力ではとうてい健一を押さえきれず、そのままずるずると下に落ち、健一の額にはすり傷ができてしまいました。それを見て亜矢は、「健ちゃんがケガしちゃった〜」と泣き、健一のけががなおるまでずっと、「健ちゃんゴメンネ、ケガさせちゃって痛いでしょ」と言っていました。思いやりのあるやさしい子に育ってくれたなと、感激した出来事でした。 いつもがまんばかりさせてきた子でしたが、小学校一年生のとき「踊りが習いたい」と言いだしました。このとき、亜矢には好きなことをやらせてあげたいと思いました。そしてなんと、四年生には国立劇場の大劇場で舞台発表をするまでになったのです。初めてかつらを付け、素晴らしい衣装を身にまとい、まるでお姫様のようになった亜矢、大劇場での初舞台、親やお師匠さんの心配をよそに、誰よりも立派に舞台をつとめた亜矢、まだ九歳のあなたがとても大きく感じられました。「私が健一に気をとられている間に、この子はなんて立派に成長してくれたのでしょう・・・・・・」「ありがとう 亜矢」これからも私たち家族の光輝く太陽でいてください。

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